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ラグビーっていつからあるんだろ・・・


ランパスしながら、
ふと、そんな事を考えました。。。

それほど古そうな気はしないですが。。。

よく聞く話は、
サッカーをしているときに、
そのボールを持って走り出したヤツがいる!
とか、
戦争後、敵の頭蓋骨をもって走り出した、
とか。

で、ウィきでは、というと、、、

ラグビーの起源は、1823年、イングランドの有名なパブリックスクールのラグビー校でフットボールの試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリス (William Webb Ellis) がボールを抱えたまま走り出したことだとされていたが、これは後世のロマンティックな創作だという説が有力である。19世紀初頭からボールを持って走る「ランニングイン」が始まったのは確かだが、その第1号がエリス少年だったかどうかは不明であり、手を使うこと自体はそれ以前でも許されていた。エリス少年自体は実在の人物で、オックスフォード大を卒業して神父となり、フランスで没したことが確認されている。南仏コートダジュールの小都市・マントンに墓地がある。ラグビーとクリケットを愛したと伝えられている。

なお、日本では「フットボールの試合中」というところを「サッカーの試合中」と誤訳している文献が散見される。英国では一般的に「フットボール」という言葉はサッカーを表すので、英語の文献で“Football”となっているところを、翻訳者が「サッカー」と誤訳したのだろう。

当時はまだサッカーとラグビーは未分化であったので、正確には「サッカー」ではなく「フットボール」か「原始フットボール」となる。

この「原始フットボール」とは中世イングランドに起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って町と町の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようとオフサイドが生まれ、今日のラグビーにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。19世紀に入り、イートン校やハロー校などパブリックスクールでは学校ごとに独自のルールでそれぞれのフットボールを行なっていた。

1871年、サッカーのFA(フットボール・アソシエーション、1863年設立)に対抗して、ロンドンでラグビー協会(RFU:ラグビー・フットボール・ユニオン)が設立された。そしてラグビーは英国でも指折りの炭鉱地帯であるマンチェスターを中心とするイングランド北部のランカスター、ヨークシャー地方ならびにウェールズ南部で発展したが、1895年選手の労働会社などへの休業補償問題(現在も兼業しながらプレーする選手が多数だが、当時は今と違ってラグビーにはプロ契約が存在しなかった)から、北部でラグビー協会からの分裂が起き、22チームからなるプロリーグが発足した。それ以降、ケンブリッジ大学対オックスフォード大学戦に代表される南部を母体とするアマチュア主義をうたった組織はラグビーユニオン、北部を母体とする報酬を目的とするものはラグビーリーグと呼ばれ、現在ではルールもかなり異なっている。現在はユニオンもプロを認め、英国ではラグビーリーグとラグビーユニオンの両方のルールで前後半の試合を行うクロスコード・ゲームが行われることもある。

とあります。
ほほぅ。。。
1823年からですか。。。
まだ200年たっていないのですね。
100年後は、どうなっているのでしょうか。
非常に興味深いですね。

ちなみに日本では、
というと、

日本で「ラグビー」といわれるものは主にラグビーユニオンであり、1899年、慶應義塾大学の塾生に田中銀之助がイギリスのクラークとともに伝えたのが最初だと言われる。以来日本のラグビーは同志社大学、早稲田大学、明治大学などの大学ラグビーの伝統校が戦前から定期戦を行い発展してきた。近年では関東学院大学など新興勢力が伝統校に肩を並べている。特に早稲田大学と関東学院大学は、ここ数年連続して決勝戦で熱戦を繰り広げており、大学ラグビーをリードしていると言える。また、(大学スポーツ全体に言えることであるが)関東の大学が他地域の大学を戦力の質・量、実績共に圧倒している。もっとも、高校ラグビーでは西日本の高校が優勢であり、西日本の高校の人材を関東の大学が集める構図が続いている。

社会人では新日鐵釜石、神戸製鋼が一時代を築き上げた。しかし、日本では前述した通り大学ラグビーの人気が高く、それが必ずしも社会人ラグビーの人気につながっていない現状がある。日本選手権での対戦成績を見ても実力では社会人が大学に大きく水をあけているにもかかわらず、社会人ラグビーのトップクラス同士の集客力は大学ラグビーの人気カード(早明戦、早慶戦など)に及ばず、日本ラグビー界の大きな課題となっている(もっとも、かつてプラチナカードと呼ばれた早明戦のチケットも近年では入手が容易になりつつあり、ラグビー界全体が人気回復という課題を背負っているとも言える)。トップリーグの創設はこれらの問題を解決する切り札として期待されているが、メディア露出が少ないせいもあって観客数の劇的な増加にはつながっていない。

日本代表はワールドカップには1987年の第1回大会から途切れなく出場を続けているが、本大会ではなかなか勝利を挙げることができていない。1991年にジンバブエに勝ったのが唯一の勝ち星で、国際ラグビー評議会 (IRB) がプロを認めた1995年にはオールブラックス(ニュージーランド代表)に17‐145の大敗を喫している。また2007年のフランス大会ではオーストラリア代表ワラビーズに91-3という大差で負けており、世界のトップクラスの国々とはまだ大きな開きがあるというのが現実である。

ラグビーユニオンによる規則では、アマチュア競技であることが永らく定められてきたが、1995年にこの「アマチュア宣言」が撤廃され、プロもアマも認める「オープン化」が宣言された。
1889年から!
鎖国をしていた日本なのに、
意外と歴史があるのですね!
これまた、面白いですね。


日本全国のラグビーファンのために、日本代表選手、頑張ってほしいです!

日本のラガーマンの夢をかなえるため、
走りに走って、パスを回して、トライ、きめてください!
ちびっ子ラガーマンも応援してます!

個人的には、大木選手、大畑選手、頑張ってください!

どうしたら、足が速くなるのかな。

どうしたら、タックルが強くなるのかな。

どうしたら、パスにスパイラルがかかるのかな。

どうしたら、キックが飛ぶようになるのかな。

どうしたら、カットが切れるようになるのかな。















































































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大学選手権結果2007